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Jupiter I

嵐のように救われた記憶

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 「あれをやらなきゃ」

「そしたらこれをやって」

「そう、あの案件も片付けなきゃ」

 

占いについては、統計学という面で半信半疑な部分があります。

なので自分が申酉天中殺だから落ち着きがないとか、何かしていないと落ち着かないとか、そういう結論はしたくないのだけど。

 

ameblo.jp

 

当たってる部分は当たってるので、スピリチュアルNo thank you!!とは叫べないんだよなあ。

 

***

 

さて、今日書きたかったことについて。

 

去年の中頃から、自分は何がしたいのか?病になっている。

『本当にやりたいことって何?』

『自分の好きなことって何?』

まるで進路に迷う思春期の少年少女みたいな悩みを、アラサーになって初めて抱えてしまった。

 

よくよく考えると、『自分の考えた通りに』してきたことがほとんどない。

両親の敷いたレールに乗っていい結果を出せるだけの能力はあったし、世間にはびこる正論や正解を実行してみせるだけの行動力もあった。

というわけで、『どんな困難もこなし乗り越えてきた自分』ができあがっていてもよさそうなはずなのに、私の中には、自分に対する自信が爪の先ほども備わっていない。

 

人をよく信じると言えば聞こえはいいけれど、困ったとき指針になるのは自己啓発系の誰かが諭す言動だった。

だから私にとって、乗り越えてきたのは自分だという自覚がない。

そして恐ろしいことに、『自覚がない』ことに気付いたのも最近だったりする。

 

気付いてみてわかった、自分ってすんごくつまんない人間だなあと。

誰かのためにとか奉仕精神みたいな行動原理備え付けて、結局は思考停止していただけだったんだよなあと思う。

思考停止はこれまたすごく楽で、特に失敗したときに何かのせいにできるからいい。

だからといって、成功したから、ちゃんと実行できたからって、自信になるわけでもないのだけど。

 

どれが正解なんだろう?と悩むのはすごく得意だった。

得意という表現もどうかなと思わなくもないけど、悩むのはたぶん嫌いじゃなかった。

要するに考えるふりしていたかった。

これだけ真面目に問題と向き合ってるよ!考えてるよ!っていうポーズがほしかったし、そういう苦悩してる自分が嫌いじゃなかったんだと思う。

 

ところがあるとき、どこかのまとめサイトの記事で『寝て起きたあとの自分は、寝る前の自分と本当に同じ人格なのか』みたいなものがあって。

それを読んでなんとなく、寝て起きたら別の自分だと思うようにし始めたんですよ。

そしたらなぜだか、「うわ自分めっちゃつまんないやつだな」って感じることが多くなった。

たぶん、そうやって毎日の自分を他人として認識するようになって初めて、自分のことを客観視できるようになったんじゃないかなあ。

 

そうしたら、自分のこと一番苦しめていたのは自分だったんだなって気付いた。

気付いてからは考えることが多くなった。

で、考えすぎて憂鬱になると……ネガのループ。

 

いろんな言葉が右から入って左から抜けていったけれど、ちょっとしたきっかけで読んでみた夏目漱石の『私の個人主義』がかなりしっくりきた。

 

夏目漱石 私の個人主義青空文庫

 

ひとは嵐のように救われることがあるとは、かの有名な漫画の一節ですが、今まで経験したその感覚のうち一回が今日。

たぶん何回かあったはずなんだけど、今日以外に一回しか今は思い出せない。

だから、そういうときの感謝を忘れないように残しておこうと思う。

 

3月のライオン 5 (ジェッツコミックス)