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Jupiter I

だから世界は今日も泣く

いろいろと、感情の振れが大きい日です。

 

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『小説家になろう』に登録して初めてブックマークした作品なのだけれど、個人的に電子媒体で長い文章の羅列を見るのが苦手で、そういう理由からWeb小説もほとんど読めずにいた。

のを、今日イベント用の本の内容を考えていたら、急にこの作品を思い出して、よくわからないけど引き寄せられるように読んだ。

 

結果として、読んでよかったな、としか言えない素敵な作品だった。

感極まって深刻な語彙不足である。

 

 

思えば、こういう出来事にはちょいちょい遭遇する。

自分でどうこうしようとした覚えはないのに、なぜか必要なときに必要なものへと引き寄せられる現象。

そういう謎の力を、ある人の言葉を借りれば『運命力』と呼ぶのかなと、こういう事象が起こる度に思う。

 

深層心理というものは当の本人がどうこう操作できない代わりに、本人が気付くにしろ気付かないにしろ、唐突な贈り物をくれることがあるのだと感じることが多くなった。

ただし、いいものか悪いものかは、場合によりけり。

それでも、自分がその引き寄せられてきた出来事や物事の発端に、自分の意識があることを自覚しているかしていないかでまたちょっとその後が変わってくるのかもしれない。

 

何のことだかさっぱり、というのは、当の私自身もよくわかっていないので、そんなものかなという。

 

 

自分の書きたいものを書きたいように書けるようになり始めたと思っていたけれど、全然そんなことなかった。

結局まだ見栄っ張りの精神が根強く巣食っていて、「こう見られたい」「そうでありたい」意識がべたべたとまとわりついているんだなと。

 

でも、なんだかよくわからないけれど、感極まって涙が出た。

この作品を読んだ後、やっぱり理由もなく昔自分が書いた作品を思い出して、勢いに任せて読み返してみた。

これまた泣けた。

面白かった、少なくとも今の私が書くものよりもずっと。

 

世界はひどく狭いけれど、私の知識も視野もまぎれもなく狭苦しい。

狭苦しい中でウンウンうなりながら頭をひねっても、ゴンゴン壁にぶつかるばかりなのである。

私の知識や視野より、間違いなく世界の方が広い。

 

なのに、限りなくすべてを知っているような気になって、ふんぞり返って生きていることがある。

気付けたときはそりゃ恥じるし、気付けないときはあとで身にかえってくるんだろう。

 

何か特別なことができるわけじゃない、だからこそ動くしかない。

狭いなと感じたら、自分のおもちゃ箱から出るしかない。

居心地のいい段ボールの城からそろそろ這い出す時期に来ているのかもしれない。