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IO

Jupiter I

嵐のように救われた記憶

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 「あれをやらなきゃ」

「そしたらこれをやって」

「そう、あの案件も片付けなきゃ」

 

占いについては、統計学という面で半信半疑な部分があります。

なので自分が申酉天中殺だから落ち着きがないとか、何かしていないと落ち着かないとか、そういう結論はしたくないのだけど。

 

ameblo.jp

 

当たってる部分は当たってるので、スピリチュアルNo thank you!!とは叫べないんだよなあ。

 

***

 

さて、今日書きたかったことについて。

 

去年の中頃から、自分は何がしたいのか?病になっている。

『本当にやりたいことって何?』

『自分の好きなことって何?』

まるで進路に迷う思春期の少年少女みたいな悩みを、アラサーになって初めて抱えてしまった。

 

よくよく考えると、『自分の考えた通りに』してきたことがほとんどない。

両親の敷いたレールに乗っていい結果を出せるだけの能力はあったし、世間にはびこる正論や正解を実行してみせるだけの行動力もあった。

というわけで、『どんな困難もこなし乗り越えてきた自分』ができあがっていてもよさそうなはずなのに、私の中には、自分に対する自信が爪の先ほども備わっていない。

 

人をよく信じると言えば聞こえはいいけれど、困ったとき指針になるのは自己啓発系の誰かが諭す言動だった。

だから私にとって、乗り越えてきたのは自分だという自覚がない。

そして恐ろしいことに、『自覚がない』ことに気付いたのも最近だったりする。

 

気付いてみてわかった、自分ってすんごくつまんない人間だなあと。

誰かのためにとか奉仕精神みたいな行動原理備え付けて、結局は思考停止していただけだったんだよなあと思う。

思考停止はこれまたすごく楽で、特に失敗したときに何かのせいにできるからいい。

だからといって、成功したから、ちゃんと実行できたからって、自信になるわけでもないのだけど。

 

どれが正解なんだろう?と悩むのはすごく得意だった。

得意という表現もどうかなと思わなくもないけど、悩むのはたぶん嫌いじゃなかった。

要するに考えるふりしていたかった。

これだけ真面目に問題と向き合ってるよ!考えてるよ!っていうポーズがほしかったし、そういう苦悩してる自分が嫌いじゃなかったんだと思う。

 

ところがあるとき、どこかのまとめサイトの記事で『寝て起きたあとの自分は、寝る前の自分と本当に同じ人格なのか』みたいなものがあって。

それを読んでなんとなく、寝て起きたら別の自分だと思うようにし始めたんですよ。

そしたらなぜだか、「うわ自分めっちゃつまんないやつだな」って感じることが多くなった。

たぶん、そうやって毎日の自分を他人として認識するようになって初めて、自分のことを客観視できるようになったんじゃないかなあ。

 

そうしたら、自分のこと一番苦しめていたのは自分だったんだなって気付いた。

気付いてからは考えることが多くなった。

で、考えすぎて憂鬱になると……ネガのループ。

 

いろんな言葉が右から入って左から抜けていったけれど、ちょっとしたきっかけで読んでみた夏目漱石の『私の個人主義』がかなりしっくりきた。

 

夏目漱石 私の個人主義青空文庫

 

ひとは嵐のように救われることがあるとは、かの有名な漫画の一節ですが、今まで経験したその感覚のうち一回が今日。

たぶん何回かあったはずなんだけど、今日以外に一回しか今は思い出せない。

だから、そういうときの感謝を忘れないように残しておこうと思う。

 

3月のライオン 5 (ジェッツコミックス)
 

 

HAPPY NEW YEAR‼

あけましておめでとうございます。

 

松の内も過ぎてしまってからのあいさつで…と打ち込もうとして、ところで松の内っていつまでかちゃんと知らないなって思い至った。

関東と関西で違うとか、地域によるとか、いろいろあるのね。

位置的にセーフかアウトか微妙な地域なので、気にしないことにします。

 

去年は、プリキュアの映画を初めて見に行って感動した感想を下書きしてたのに書き締められなかったり、最終回前にフリフラの記事を一回書いておきたいと思ったのに下書きのままだったり。

あれですね、だめだめですね。

 

今年からはあまり気取らずに生きたいと思います。

完璧主義と有限不実行が合体するとろくなことにならない、てかなってない。

 

***

 

さて。

直近としては、2/12(日)の静岡文学マルシェにて、ポストカードギャザリングの作品で参加させていただく予定です。

予定っていうか、参加します。

運営ボランティアも申し込んであるので、やったことないことに挑戦×2で楽しみです。

 

イベント運営といえば、以前はまっていたジャンルのイベントに初参加(本は出してない)したとき、知り合いの方が運営側にいらして。

前に一回お会いしたことがあり、その後はtwitterでの関わりだったんですが、そのイベントで再会したとき、なんかいいなあと思ったんですよね。

 

帰り際にひとりでいらっしゃるのを見つけてつい話しかけてしまったときの感覚をいまだにリアルに覚えてる。

もともと憧れている雰囲気の人ではあったけど、そのとき素直に「いいなあ」と思ったんですよね…。

こういう人になりたいなあって、今でも思う。

 

まあ、なれてないけどね!

あの落ち着きはいったいどうやったら身につけられるんだろう。

 

そのジャンルからは離れちゃったけど、憧れはそのままです。

変わらず元気にしていらっしゃることを祈っている。

 

***

 

今年はいろいろやってみたいことがたくさんあるので、がんばります!

ボルティセラ・アルバはどこから出てきたのか?――小説『Wシリーズ』――

 

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)
 

 

 

 

 

およそ脳みそによくない行動というのが自分でだいたいわかってきている。

そういう感覚を経験則と呼ぶのだろう。

あいにく私は人間の中でも器用じゃない方の部類に属するだろうから、今の今まで生きてきてやっとこさ身に着けた『楽に生きるための指針』のひとつがこの『およそ脳みそによくない行動』を避けること(もしくは連続して行わないこと)なのだけれど。

先週一週間まるっと、その部類の行動を可能な限り続けた結果、週末倒れてまともに動けなくなるくらいには疲弊してしまった。

 

その原因が上記の四冊である。

 

 

***

 

 

連日の頭痛と疲労は完全に自業自得。

だからといってやめられないのが知識欲と好奇心に生かされている罠。

 

お腹がすいたらご飯を食べるのと同様、脳の空腹を満たすように物語を消化していく。

もともと何らかへの執着や集中が頻発するタイプで、「おなかいっぱい刺身を食べたい」とか「おなかいっぱい馬刺しが食べたい」とか「いやになるまでアイスを食べ続けたい」とか……。

いや、食べ物に限ったことではなくて、「倒れるまで物書きしていたい」とか「許される限り漫画を読み続けたい」とか、そういうパターンで。

言うまでもなく、一気読みや一気見、一挙放送が大好きだ。

 

というわけで、初版で買ったのに積読していた『彼女は一人で歩くのか?』を皮切りに、Wシリーズマラソンを開始。

しばらく活字から離れてゲームに傾倒していた私の頭は、あまりの情報量にキャパオーバーを繰り返したわけだけれど、「あ、これもう駄目だな」と脳のヘルプサインに気付いてからの読書の気持ちよさと言ったら、恐悦至極。

アドレナリンだかアポトキシンだかボルティセラ・アルバだか何だか知らないけど、生きててよかった公文式!と叫ばんばかりの多幸感。

ちょっと現実世界に帰ってこられなくなって(九井諒子さんの言葉を借りれば『ノベル・ダイブ』というやつ)、多少の支障はあったものの、何にでも幸福の代償は存在するものだから、ということにしておく。

 

これだけ濃密な物語をコンスタントに、しかも複数シリーズ同時に執筆されている著者には尊敬以上の畏怖を覚えるのだけれど、一気!一気!と我慢できずに地団太を踏んでいる私にとっては大変ありがたい。

親鳥が運んでくる餌を待ちくたびれてピーチクパーチクしている小鳥の可愛らしさと我慢強さを見習いたいくらいには、だいぶ我慢できずに暴れているのが某脳内。

我慢はできないしする気もないので、同じく森博嗣氏著書の百年シリーズに手を付けたく一巻めを探し求めて書店ジプシーをしている今日この頃です。

 

そろそろ書店で出会うのを諦めて、注文しようと思う。

 

 

ひきだしにテラリウム

ひきだしにテラリウム

 

 

 

女王の百年密室―GOD SAVE THE QUEEN (新潮文庫)

女王の百年密室―GOD SAVE THE QUEEN (新潮文庫)

 

 

[訳あり] 天馬 馬刺し たっぷり500g [タレ5Pつき]

[訳あり] 天馬 馬刺し たっぷり500g [タレ5Pつき]

 

 

だから世界は今日も泣く

いろいろと、感情の振れが大きい日です。

 

ncode.syosetu.com

 

『小説家になろう』に登録して初めてブックマークした作品なのだけれど、個人的に電子媒体で長い文章の羅列を見るのが苦手で、そういう理由からWeb小説もほとんど読めずにいた。

のを、今日イベント用の本の内容を考えていたら、急にこの作品を思い出して、よくわからないけど引き寄せられるように読んだ。

 

結果として、読んでよかったな、としか言えない素敵な作品だった。

感極まって深刻な語彙不足である。

 

 

思えば、こういう出来事にはちょいちょい遭遇する。

自分でどうこうしようとした覚えはないのに、なぜか必要なときに必要なものへと引き寄せられる現象。

そういう謎の力を、ある人の言葉を借りれば『運命力』と呼ぶのかなと、こういう事象が起こる度に思う。

 

深層心理というものは当の本人がどうこう操作できない代わりに、本人が気付くにしろ気付かないにしろ、唐突な贈り物をくれることがあるのだと感じることが多くなった。

ただし、いいものか悪いものかは、場合によりけり。

それでも、自分がその引き寄せられてきた出来事や物事の発端に、自分の意識があることを自覚しているかしていないかでまたちょっとその後が変わってくるのかもしれない。

 

何のことだかさっぱり、というのは、当の私自身もよくわかっていないので、そんなものかなという。

 

 

自分の書きたいものを書きたいように書けるようになり始めたと思っていたけれど、全然そんなことなかった。

結局まだ見栄っ張りの精神が根強く巣食っていて、「こう見られたい」「そうでありたい」意識がべたべたとまとわりついているんだなと。

 

でも、なんだかよくわからないけれど、感極まって涙が出た。

この作品を読んだ後、やっぱり理由もなく昔自分が書いた作品を思い出して、勢いに任せて読み返してみた。

これまた泣けた。

面白かった、少なくとも今の私が書くものよりもずっと。

 

世界はひどく狭いけれど、私の知識も視野もまぎれもなく狭苦しい。

狭苦しい中でウンウンうなりながら頭をひねっても、ゴンゴン壁にぶつかるばかりなのである。

私の知識や視野より、間違いなく世界の方が広い。

 

なのに、限りなくすべてを知っているような気になって、ふんぞり返って生きていることがある。

気付けたときはそりゃ恥じるし、気付けないときはあとで身にかえってくるんだろう。

 

何か特別なことができるわけじゃない、だからこそ動くしかない。

狭いなと感じたら、自分のおもちゃ箱から出るしかない。

居心地のいい段ボールの城からそろそろ這い出す時期に来ているのかもしれない。

限りなくエジソンに近付いた御影――アニメ『タイムトラベル少女~マリ・ワカと8人の科学者たち~』――

もやしもん以来かな?

半年くらいぶりにアニメの一気見をした。

 

もやしもんDVD-BOX【初回限定生産版】

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2016年夏アニメの一本、タイムトラベル少女です。

  

 

スタイリッシュなハッシュタグについては置いておくとして。

 

ネタバレへの考慮はなく語りますので、ご注意ください。

 

超主観的なあらすじとキャラ紹介

あらすじ

主人公・マリは、科学者の父とパティシエの母を持つ中学生。

この科学者の父親が、とある企業の社長・御影から資金提供されつつ、物質転送装置の開発をしていた。

物語スタート時点では、父は三年間失踪している状態で、マリは失踪する直前の父から不思議な(某飛行石っぽい)ペンダントを預かっている。

 

キャラ紹介

■ マリ(主人公)

某飛行石っぽいペンダントを使ってタイムトラベルする。

タイムトラベルする先は、電気についての発明や発見をした科学者のところ(年代順に飛ぶ)。

勉強はあんまりできないし科学もよくわからなかったけど、タイムトラベルするうちに向き合い方が変わったり、興味が出てきたり。

 

■ ワカ

もう一人の主人公っぽい、ワカの友達で同級生。

ツンデレお嬢様で勉強のできる世話焼き委員長キャラ(委員長とは言ってない)。 

幼馴染で同級生の風太にわかりやすく片思い中。

 

■ 旬にぃ

テンプレの頭脳明晰イケメンで、ワカの兄なスタイリッシュ高校生。

性格もお兄ちゃんキャラで、マリのタイムトラベルをサポートする役。

マリの父の研究所に前から出入りしていてちょっと話を聞いたりしていたらしい。

 

■ マリの父

タイムマシンを作っちゃって、実際にそれであちこち飛び回ってるうちに帰ってこれなくなったっぽい、体育会系科学者。

タイムトラベルに必要なのは「物質転送装置(?)」「某飛行石っぽいペンダント」「電気開発の歴史についての未来の本」の三つだけど、このうち前の二つを作った人。

 

■ マリの母

気の強い姉御肌で包容力のはんぱないパティシエ。

御影に口説かれたり、旦那に鉄拳喰らわせたりする。

 

■ 御影

マリの父に資金提供していた社長で金の亡者という名のビジネスマン。

見た目も中身もやり手の若手企業家で、のっけからキャバクラでちやほやされている。 

 

■ 黒木くん

御影の美人秘書。

妄信的に御影を尊敬しているっぽいけど、「君も食べるかい?」と御影に言われたプリンを箱ごと残り全部すばやい手つきで持ち帰っていったところからして、プリン>御影を怪しんでいる(当社調べ)。

 

 言葉のTPO

 言葉というのは不思議なもので、同じ言葉でも、使う人や相手、場所、時間、感情といった変数が異なれば、意味や印象が全然違うものになる可能性を持っている。

 

たとえば、『おいしそう』について。

 

<ケース1>

しばらく会社に泊まり込みになるほど仕事に忙殺されていたサラリーマンがやっとの思いで家に帰り、可愛い娘のハグ付き「ぱぱ、おかえり!」攻撃でデレデレになったあと、キッチンで愛する妻が「おかえり」といいながら並べている温かい手料理を目にし、『おいしそう』とつぶやく。

 

 <ケース2>

数日前から帰り際につけられている気がする女子大生。バイト帰りの夜道が不安で彼氏に電話をして話しながらアパートまで歩いている途中、見回りの警察官とすれ違う。「不審者が出るからって見回りしてくれてるみたい、よかった」彼氏にそう伝えて安堵感から電話を切り、アパートの階段を上り始めたところで背後に気配を感じ、振り返ると真後ろにさっきの警官が立っていて『おいしそう』とつぶやく。

 

最近オカルティックナインを見ているので、ケース2に影響が出ているのは間違いないのだけど、とにかくこの二つのケースでは、どう考えても『おいしそう』の印象が違うわけだ。

こんなこと説明するまでもなく、日常を過ごしていれば感じられることだろうけれども、とりあえずの前置き。

 

 

さて、タイムトラベル少女の話に戻る。

 

マリの父親に資金提供していた御影は、マリの父親が失踪した件について「物質転送装置は完成したけれど隠しているんじゃないか(実際そう)」と思い、動き始める。

その一環として、マリの母親にコンタクトをとり、お得意のビジネストークで父親の研究所に入らせろ(意訳)と言う。

が、マリの母親は、御影の小手先の口実には左右されず、御影の提案を突っぱねる。

 

その場をおとなしく後にする御影が、車の中で口にした言葉が「聡明な人だ」である。

個人的には「聡明な女(ひと)だ…」くらいのニュアンスがあったように感じたが、それはまた別の話として。

 

このときの『聡明』には、御影の思いが大きく分けると二種類入っているように思う。

 

ひとつは、自分のご自慢ビジネストークに簡単に惑わされない、マリの母親の判断力と冷静さを認めていること。

企業家として成功している御影がどのようにその世界を渡っているかの片鱗は、そのエピソードに至るまでのシーンで語られている。

実際に、御影の言葉や雰囲気に丸め込まれる使い捨てキャラも登場する。

そういったストーリーの流れから、マリの母親に対して悪い印象を抱いてはいないことは(この後で本気なのか作戦なのか微妙な口説きターンが何回かあることから邪推しても)なんとなくわかる。

 

そしてもうひとつは、逆に、自分のビジネストークにうまく乗ってこない厄介な存在であると感じていること。

御影はこのエピソードの後、マリの母親について調べ、彼女がなかなかの財閥の娘であることを知る。

金で動くタイプの人間ではない、と御影は彼女を評する。

御影はビジネス上、金で動かせることがあるなら簡単だという意識のキャラだけあって、この発言からマリの母親を多少なりとも厄介だと感じているのは確かである。

一応週末朝の子供向け枠のアニメであることから考えても、確定的な勝利要素がある or 最終手段でない限りは力技に出ないキャラくさいことからして、スマートに自分の思い通りに事を運ぶために、マリの母親が支障になっていたことは間違いないだろう。

 

そんなわけで、まとめると。

御影の口にした『聡明な人だ』には、マリの母親に対して高評価する思いと厄介者扱いする感情が含まれている、と私は考える。

 

 

さて、上記の御影の発言との比較として、御影を崇拝する美人秘書・黒木も物語終盤、マリに向かって「聡明な子ね」と口にする。

 

これは、物質転送装置周辺の秘密が御影にばれ、ワカや旬にぃ、マリの母親までも縛り上げられてしまい、追い詰められたマリがタイムトラベルのことについて話すしかないと判断したときのシーンである。

 

このとき、秘書の黒木および御影は、人質をもってしてマリを脅している。

マリは話す以外の選択肢を選べない、お約束とも言える展開だった。

状況から考えて、黒木の言う「聡明な子ね」はマリを素直にほめているわけではない。

ここでは嫌味ったらしく使われていると感じるのが妥当だろう。

もしかするとわずかにでも認めている感情は含まれているのかもしれない。

でも、その感情は自分たちの思い通りに動いたことに関しての意味合いが強く、マリ個人の人間性を認めているわけではおそらくない。

 

補足になるけれど、御影が件の「聡明な人だ」発言した際には、黒木は側にいない。

この発言を聞いていて真似したわけではないことがわかる。

 

ただ、ここからは私の邪推になるけれど、御影を崇拝する黒木が言動その他について御影に影響されていてもおかしくはない。

だから私は、この二つの『聡明』の言葉が強く印象に残っている。

 

黒木は御影を崇拝していて、いろいろと影響を受けていたと仮定する。

もちろん言動や思考もそうありたいと意識することで次第に似通っていく。

でも、本質的なところでは理解できていなかった。

それがこの「聡明」の使い方および意味の違いに表れているとする。

黒木の放った「聡明」から感じ取った印象が、嫌味たらしく小物っぽく感じられるのもその一環なのかなと。

 

たまたまかもしれないけれど、もしそこまで計算されてセリフが書かれていたのだとしたら(もしくは作品世界にキャラが生きているとすれば)、それは単純にすごいことだと思う。

 

 

功利主義と「自分」

まさか言葉の印象の話だけでこんなに長くなるとは思わなかったので、書きたいことはたくさんあるけどもうひとつだけ手短に記しておく。

 

この作品において御影は、タイムトラベルした先々に生きる科学者を筆頭とした、自分の利益を追求せずに何らかの道を進み続ける人たちとは対極の存在だと言える。

(実際の科学者の全員がそうなのかどうかは知識不足なので例外はあるかもしれないけれど)

 

御影は功利主義者である。

キャラ紹介のところでも言っているが、私には彼が金の亡者に見える。

どういう理由かは知らないけれど、金のために動いている男だと思う。

 

御影は作中、子供時代の自分にとってエジソンはヒーローだったと口にする。

それはエジソンが偉大な発明家だったと同時に、偉大な実業家だったから、という理由だと作中から読み取ることができた。

無知な私はその詳細を知らなかったので改めて調べてみたけれど、本当に相当な能力を持った実業家であったらしい。

 

数々の発明を生み、加えて利益まで手にしてきたエジソン

御影が彼をヒーローと思っていたのが、子供のころ、というのがミソだ。

御影という人間の根幹に、利益第一主義が存在しているらしいことがなんとなくうかがえる。

 

そんな子供がどんな大人になったのか?

起業して成功し、物質転送装置なんていう常識から逸脱したような怪しい研究に資金提供をし、かつ、その資金源のために他人にも資金出資をさせているようである。

ようするに『タイムマシン発明プロジェクト』の企画者なのだろう。

エジソンのように、偉大な発明とそこから生まれる莫大な利益を自分のものにしようとしていることは想像に難くない。

 

 

少し話を逸らそう。

前にネットの海でとある言葉を見かけたことがある。

正確な文言は忘れてしまったけれど、趣旨はこうだ。

 

Aに憧れて「そうなりたい」とどんなに近付こうとも、それは『限りなくAに近いB』である。

Aそのものにはなれない。

 

当たり前のことのようで、核心をついている言葉だなと印象に残ったので覚えている。

 

 

エジソンに憧れた少年時代の御影は、おそらくエジソンのようになりたいと思ったことだろう。

そして、エジソンは子供時代の自分のヒーロー『だった』と言いながら、大人になった作中でも同じような行動をしているところから、エジソンの存在が御影の中で大きなものであることは感じ取れる。

 

でも、御影はエジソンではないのである。

 

エジソンは偉大な発明をし、莫大な富を築いた。

莫大な富を築くために発明をしたとは、様々なエピソードを読む限り、私には思えない。

利益を求めた部分もあったかもしれないけれど、「それとこれとはまた別」というやつだったのかもしれない。

純粋な探究心や強い意志の持ち主だったことはおそらく確かだろう。

 

それでは御影はどうか。

彼は自分および会社の利益を一番に考えていた。

心理的利己主義というやつかもしれない。

最終的な自分の利益のために、クルーザーやバーベキューなどをマリたち(というかマリの母親)に提供したりもしている。

(そこに別な下心があったかどうかは定かではないけれども)

 

最後の最後まで利益を求め続けた御影。

そんな御影が歴史のひずみに取り残され、エジソンと肩を並べて共闘することになる。

史実に載った写真の中の御影は、なんともすがすがしい表情をしている。

この閉幕で御影は、「エジソンに憧れて近付こうとした御影」ではなく、「エジソンとともに事業を発展させていった御影」になったのだろうと私は思う。

 

 

おわりに

どうにも御影という存在が自分に一番似ているように感じたからか、そこに焦点が向かいやすくなってしまったけれど、全体的に見てとても楽しめる作品だった。

 

シンプルイズベスト。

子供が科学に興味を持つにもわかりやすく面白い内容だったと思うし、大人が見ても楽しめる素敵なアニメ。

鍵となるアイテム・人・言葉が収まるところにぴったり収まっていた。

実は作中のシステムや謎がすべて詰め込まれていたアイテムが、智恵の実のモチーフとされているリンゴであることも、個人的に推していきたいポイントのひとつ。

 

マリの父親のタイムトラベルの謎についての理解は諸説あるようだけれど、自分の中ではうまく結論付けられたのでよしとする。

 

願わくば、御影の秘書である黒木の救済を…。

OPにあるように、きっと彼女も幸せな未来にたどりつけるのだと信じている。

『継続は力なり』とはよく言ったものだなと

往々にして名言は短縮されていることが多く、言葉少ない中で深い意味を持っているのだと理解してはいる。

だけどそれにしたって、省略しすぎな名言が多すぎる。

それとも、シンプルな方が頭に残りやすいから座右の銘として持っておくのに便利なのかな。

 

話は変わるけれど、私は根っからの見栄っ張りだ。

他人に見せる部分はできる限り(当社比)完璧でありたいし、完璧でないものは外に出したくない。

だから適当なものは公にしたくなくてやたらと作りこもうとするけれど、やりすぎて間に合わずに結局適当なものを外に出してしまうことがあるのも確かで、矛盾していることは理解しているのになかなか治らない。

 

見栄を張ることが一種の癖になっているんだと思う。

一般的にそういう傾向のことを『性格』と呼ぶんだろう。

 

そういうわけで、ここに載せる用に記事を何本か下書きしてあるのだけど、上の理由から公開できるまでに至っていない。

なんとも中途半端だし、言いたいことがまとまっているわけでもなく、ひたすらに完璧な自分を作りこみたいだけの記事のなりかけであることは否定できない。

 

なんでもかんでも継続させればいいってわけじゃない。

やめ続けることだって、裏を返せば継続していることと同じようなもの。

煙草をやめることは禁煙の継続だし、同じく見栄を張り続けることも継続のひとつのパターン。

煙草を吸い続けることも喫煙の継続だし、見栄を張らないように意識し続けるのも継続。

反省しても動き出すことをやめている、これも継続になるだろう。

 

こういうひねくれた「裏を返せば」思考もずっと継続していることで、だからといって力になっているかどうかといえば、ちょっと今のところは判断がつきかねる。

役立っているような、そうでもないような。

 

言葉も行動も継続も、うまいこと取捨選択の判断ができるようになれたらいいんだけど。

石頭は星の王子さまの夢を見るか?

年齢を重ねるほどに理解力が衰えていく気がするけれど、そもそもの理解力が低かったのを過去の私が自分を過信していた(もしくは理解しているつもりだった)だけなのか、どっちが現実なのかは定かではない。

とりあえず今の私は、後者の匂いを疑うけれど。

 

導入はそれくらいとして、本題に入る。

 

 

『いちばんたいせつなものは、目に見えない』とかの有名な星の王子さまの一節がある。

 

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

 

この言葉と出典源はずいぶん前から知っているけれど、あいにく私は星の王子さまを読んだことがない。

興味はあったし、どはまりしたスタドラが星の王子さまをモチーフにしている部分がかなりあると知ってから一度図書館で借りてきたけれど、結局読まずに返してしまった。

 

STAR DRIVER 輝きのタクト Blu-ray BOX

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ことごとくタイミングを逃すこの本との関わりだけれど、先日、図書館の主を読んでいたらまた紹介(引用)されていて、そろそろ真面目に読んだ方が良いような気がしてきた。

 

図書館の主 1巻

図書館の主 1巻

 

 

というわけで、図書館へ行ったついでに探してみたのだけれど、今回は見つからなかった。

今はタイミングではないってことなんだろう。

 

ただ、『いちばんたいせつなものは、目に見えない』ことに関してだけは、今思うところがあるので少し書きたいと思う。

 

 

私が初めて物質的豊かさと精神的豊かさという言葉を聞いたのは高校生のときだった。

入試対策の評論で語られていた内容だ。

評論の内容はもうほとんど覚えていないけれど、当時の私が精神的豊かさに憧れたことは感覚として覚えている。

 

改めてそんな評論を読まなくても、物質的豊かさ≦精神的豊かさの不等式(※20161028,不等式の向きが逆なことに気付く。修正しました)は世界各所のありとあらゆる媒体で飽きるほど語りつくされていたし、その考えが正解だと思わない人を探す方が難しいんじゃないか? と感じてしまうくらい、当たり前といったら少し語弊があるけれど、それくらい周知されているような価値観だと、当時も今も思う。

 

なのに、その精神的豊かさというものを手に入れるための方法は、だいたい抽象的だ。

逆上がりができるようになれば手に入る、とか、ノーベル賞をとれば必ず手に入る、とか、そういう明らかな指標がどこにもない。

なんとなくこんな感じ、こんな風に生きていれば、といった、感覚的な目に見えない方法ばかり。

白黒はっきりつけたい性格の私からすれば、あまりにも遠い、手の届かないものに思えた。

「確実に今、精神的豊かさを手にしている」と確信できなければ、私はそれを手に入れているとは感じられないんだろう。

精神的豊かさというものの尊さと儚さを同時に感じた高校時代の思い出だ。

 

『いちばんたいせつなものは、目に見えない』というセリフは、各所でこれだけ取り上げられている世界だから、きっと大多数の総意や真意といってもそろそろ許されるんじゃないかと思う。

じゃあ自分にとっていちばんたいせつなものって何だろう?

そう考えたときに浮かぶものが、私にはいまだに物質だ。

逆に物質じゃないものを思い浮かべる人がいるのかと疑問になるくらい、確固として物質しか思い浮かばない頭の中、どうにも最近その影によぎるものがある。

よぎるのは物質ではない、目に見えないものだ。

 

世の中の人たちが『いちばんたいせつなものは、目に見えない』を総じて感じているかどうかは私にはわからない。

そもそも本当にそうなのかどうか、私はいまだに少し疑問に思う。

ただ、いちばんたいせつな物質の影によぎる「何か」が、私の考え方を徐々に変えてきたことだけは、感覚的に理解できる。

冒頭に述べた理解力の低さから、「理解しているつもり」になっていないことを祈るばかりだ。